遺跡船道中記

マンガ、アニメ、ゲームなど、好きな作品に関するレビューを中心に、生活やビジネスのこともつらつらと…。自分の「好き」を少しでも多くの人と共有できたら嬉しいです。

オタク的趣味を長続きさせるための一考

「社会人になるとオタク的趣味を続けにくくなる」という話を最近よく耳にする。

suresuta.jp

 

 「時間が無いから」等の理由は正直どうしようもない気もするのだが、それ以前にオタク的趣味の時間を確保するモチベーションが湧かない、というのが大きな要因としてあるように思える。というか、深夜アニメくらいなら録画して後で倍速視聴とかすればいいだけの話なのではないだろうか。1話10分前後で観られるのに。

 では何故、オタク的趣味に対するモチベーションは薄れていってしまうのだろうか。今回はこの問いをマズロー欲求5段階説をベースに考えてみる。

 

f:id:tsnormin:20170312174533p:plain

 

マズロー欲求5段階説

 有名な説なので聞いたことがある方も多いのではないだろうか。詳しい解説は以下を読んでいただきたい。図付きで非常に分かりやすくまとまっている。

www.motivation-up.com

 

 

 今回はオタク的趣味による効果でどの段階の欲求が満たされるのかを考える機会が多いので、上記のサイトから引用した図を貼らせていただく。

f:id:tsnormin:20170312174550g:plain

 

 

▼オタク的趣味の定義

 マンガ、アニメ、ゲームなどのコンテンツを読んだり観たりプレイしたりすることに喜びを感じる類の趣味。ザックリしすぎである。

 まあ字面で大体イメージつくのではないか、と思いたい。

 

 

▼消費傾向が強い趣味は時が経つにつれ虚しくなってくる…??

 結論から言えば、オタク的趣味が長続きしないというのは、その趣味が消費偏重になってしまっているからだと推測される。そもそもオタク的趣味というのは他の趣味と比べて消費がウェイトを占めやすい。

 例えば、サッカーが趣味であれば、練習の過程で体が鍛えられたり、チームメイトや相手選手と仲良くなってコミュニティを形成できたりして、分かりやすい生産性を持つ。

 その一方で、消費偏重のオタク的趣味は1人でアニメを観たり、本を読んで満足したり、とどうしても消費が主になってしまい、そこから何が生まれているのかが少々見えにくい。(それが悪いとは決して思っていない。)

 今回はこうした消費傾向の強いオタク的趣味を「低次のオタク趣味」と定義する。なぜ「低次」かと言うと、消費偏重のオタク的趣味で満たされる「欲求」は、どうしても低次の欲求になりがちだからである。

 

安直な当てはめかもしれないが、マズローの図に従って言えば、

 

美少女やイケメンを見て快楽を得るのは性欲(=生理的欲求)に帰着するし、

物語を読んで自分の人生に役立てようというのは安全欲求に含まれるだろう。

 

▽物語が安全欲求を満たす、とは??

 少し話を脱線させます。「物語を自分の人生に役立てる」というワードにいまいちピンとこない方も多いと思うので、川上量生氏の『コンテンツの秘密 ―ぼくがジブリで考えたこと』より、以下の文を引用しておきます。めちゃくちゃ面白い1冊なので、興味のある方は実際に読んでみてください。(文章強調はブログ主によるもの)

 

川上さんかアリストテレスの『詩学』を参考に、コンテンツの定義を考察する一節。「コンテンツは現実の模倣である」という定義を導いたのち、話は「なぜ現実を模倣するのか」という疑問へと進んでいく。

 なるほど。アリストテレスはコンテンツが生まれた原因について、「再現(模倣)」は本能であり、人は再現することを喜ぶからだと分析しています。そして再現によって最初にものを学ぶというのが他の動物と異なる特徴だということです。

 これは生物としての人間にとって、そもそもコンテンツが果たしている役割についての重要な指摘だと思います。コンテンツとは現実世界の模倣であり、人間は現実世界のシミュレーションとして最初にコンテンツから学ぶと指摘しているのです。

 ようするに、人間が成長していく過程で、現実社会を学ぶための教材がコンテンツであると言っているわけです。

 これはなぜ人間社会にコンテンツがあるのかという、進化心理学的なコンテンツの起源の説明としても十分に検討に値する仮説でしょう。

 現実世界を模倣したコンテンツをつくることを好む本能を持つことが、人類という種の生存に有利だったということです。そして本当に有利だったとしたら、アリストテレスの主張とは少し異なりますが、人類以外でも現実世界の模倣を本能として持つ動物がいてもいいはずです。実際にライオンなどの狩りをする肉食動物には、“遊び”として狩りごっこをする性質があるのは珍しくありません。

 人間を含む生物が現実世界の模倣を楽しいと思い、それによって現実世界を学習することで生存を有利にすること。これがコンテンツの起源であるという解釈はかなり正しいのではないかと思います。 

 

 

 このように、物語(≒コンテンツ)は現実世界を学習する上で重要な機能を持ち、安全欲求を満たすものである、と推測することができる。

 

▽話を戻しますと

 上で述べたような低次のオタク趣味が生理的欲求や安全欲求を満たすものと仮定すると、オタク的趣味が長続きしない理由も見えてくる。

 思うに、低次の欲求は他の行為で賄えてしまう場合が多く、オタク的趣味の優先度は否が応でも下がってしまうのではないだろうか。「アニメ観る時間あるならその分寝たいんじゃー」とか、その類のアレである。

 この状況を打開するためには、オタク的趣味の価値を高め、その行為を代替不可能なものにしていく必要があると私は考える。すなわち、オタク的趣味を消費から生産へと転換し、高次の欲求を満たす行為にレベルアップさせよう、という案である。

 

 

▼趣味の生産性を高めてみよう

 オタク的趣味を趣味を長続きさせるために、アクションをより生産性の高いものにシフトさせていく。ありきたりなモノばかりだが、例を挙げてみると、

 

SNSなどで共通の趣味を持つ人たちとコミュニティを形成する(→社会的欲求)

・好きな作品の2次創作をコミケに出展(→自己実現欲求、尊厳欲求)

・ゲームの実況動画をYouTubeやニコ動にアップしてみる(→自己実現欲求、尊厳欲求)

・好きな作品の感想や批評をブログにアップしてみる(→自己実現欲求)

 

などが考えられる。

 

 私のこのしょうもないブログもその一環である。作品を鑑賞するだけでなく、その感想をアウトプットすることで、その作品に対する自分の想いを整理し、他者と共有することができる。自分の文章を読んでその作品を知りましたーみたいな展開になったら、なおのこと嬉しいではないか。(今のところ妄想の域を出ないが。)

 

 日々の仕事でアウトプットしまくって、趣味に癒しを求める社会人には少々酷なのかもしれないが、出来る範囲でちょこちょこやってみるのも悪くないのではないかと思う。

 魚界のレジェンド、さかなクンさんも似たような事をおっしゃっている。

hamusoku.com

 

 

▼おわりに

よくよく考えてみれば当たり前な事柄をダラダラと書いてしまった気もする。というか、そもそもここまで熱意のある人がオタク的趣味への関心を失うことはまず無いと考えてよいだろう。ヒトの時間や体力には限りがある。疲れてる時にこんなことするのはしんどいのだ…。(でも、しんどいからこそやりがいや達成感も大きいのではないか、とも思う。)

 

 ああ、なんだか書いてて悲しくなってきた…。まあ自己満足記事ということで勘弁してください…。

 

 趣味が変わるならそれはそれで良いとも思いはするけれど。小中でいじめにあっていた時も、大学受験で心を病んだ時も、私を支えてくれたのはマンガやアニメ、ゲームであった。だからもうしばらくは今の趣味を大切にしたい。そしてそのためにも、趣味をより高次の段階へ進める必要があるのではないか、と思う今日この頃なのであった。(完)